三つに分裂した広域指定暴力団「山口組」に再合流の情報。分裂の責任追及で引退確実な司六代目体制の後釜に座るのは誰か?。そして神戸・任侠山口の首領たちの処遇はどうなる?。

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山口組再合流の情報

引用:https://www.youtube.com/watch?v=7yZaUXD9P2A

日本最大の広域暴力団・山口組の分裂を巡り、最近関係者から「今年中にも、全ての団体が合流する見通し」との情報を得た。

かつて「山一戦争」と呼ばれる分裂騒動を経て、再び分裂した史上最大の修羅の群れをまとめるのは、如何なる人物だろうか?

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六代目山口組・分裂の背景

 

現在の六代目山口組分裂の顛末を語るには、山口組の誕生からいわゆる「山一戦争に至る話をせねばならない。

そもそも山口組は、神戸で働く港湾荷役労働者の集まりとして、1915(大正4)年、山口春吉が首領となり誕生した。

その後も勢力を拡大し続けるが、現在の様な広域暴力団としての礎を気付いたのは、戦後の1946(昭和23)23年、三代目組長に就任した田岡一雄である。

それまでの非合法的な収入源(賭博・ノミ行為・薬物売買)だけでなく、自ら芸能・スポーツ興業を支援する団体を起こし、合法的な収入源の確保に動いたことで勢力が拡大。

以後全国各地で構想を繰り返し、各地の有力組織を傘下へ納め、全国制覇へあと一歩と言われた1981(昭和56)年、田岡は68歳で逝去する。

その田岡の跡目を巡って、山口組は真っ二つに分かれた。

温厚な性格と商才で頭角を現し、当時組長代行を務めた(故)山本広(山広組組長)と、「荒ぶる獅子」と言われ、山口組きっての武闘派として知られた(故)竹中正久(竹中組組長)が、四代目として名乗りを上げ、支持する者&対立する者の間で連日諍いが起きた。

しかし、(故)田岡組長夫人・文子氏の意向で、竹中が山口組四代目組長として指名された。

これに反発した山広組一派らは山口組を脱退、新たに「一和会」を結成し、四代目山口組と対峙する。

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任侠史上最大の抗争「山一戦争」&その後の山口組

そして決定的な事件が起きた。

1985(昭和60)年1月26日、吹田市江坂の愛人宅を出た(故)竹中四代目組長に、一和会傘下の鳴海清らヒットマンが銃撃を加え、同行していた若頭・(故)中山勝正(豪友会会長)と共に即死させた。

これをきっかけに、いわゆる「山一戦争」の火ぶたは切って落とされた。

近くに及ぶ抗争は、100名近い死傷者を出し、結果一和会が解散消滅する事で決着を見た。

だが一連の抗争で山口組本家に対する求心力は薄れ、「鉄の結束」と呼ばれた組織の立て直しに、五代目組長に就任した(故)渡辺芳則は奔走する事となった。

その渡辺五代目体制下の若頭に就任したのが、現在の六代目・司忍こと篠田健一である。

それまで山口組の幹部は、関西一円の直参出身が当然とされたが、司は名古屋の弘道会出身。若頭に抜擢された当時でさえ、山口組全体に不穏な声が流れたとされる。

元々山口組内には、幹部は神戸や関西一円出身者で固めるとした不文律があり、名古屋出身の司が六代目候補とされる若頭になる事は、ある意味タブー視されていた。

特に渡辺五代目の出身母体で、山口組最大派閥の山健組にあっては「次の首領(かしら)が名古屋出身とは、以ての外」と、早くから司の六代目組長就任に異を唱えていた。

だが、病のため渡辺五代目が引退するや、六代目の席に座ったのは司忍であった。

そこにも、ゴッドマザーである田岡未亡人・文子氏の強い意向が働いたとされる。

この人事に、山健組・井上邦雄組長は激昂する。

「『山健に非ずば、山口に非ず』と言われ、田岡の親分と共に山菱代紋を広めた山健の辛苦を忘れたか!」

井上の動きは速かった。

司が六代目に就任して半年足らずの2015(平成27)年9月、司六代目体制に反発する宅見勝(宅見組組長)入江禎(入江組組長)と共に「神戸山口組」を結成して離脱した。

一時は「本家山口組の金庫番」と呼ばれる程豊富な資金や、太田興業など旧有力勢力の傘下入りなどで「本家を上回る勢力」と言われた神戸山口組だった。

しかし、神戸山口組の「核弾頭」「秘密兵器」と呼ばれた織田絆誠若頭代行が、2017(平成29)年4月突如出奔。

六代目・神戸山口傘下の60団体を引き連れ「任侠団体山口組(現・任侠山口組)」を結成する。

これによって、神戸山口組は一気に弱体化。

それを機に「神戸潰し」と意気込んだ六代目山口組も、本家傘下の一部主要団体が任侠山口へ流れ、逆に突っ込まれると言った失態を演じる有様。

関西在住の任侠ライター諸氏は「三国志を地で行くような状態で、どこが天下を取ってもおかしくない」と語っている。

動き始めた手打ち


引用:http://eiga.michao.jp/houga/21780

こうした情勢に危機感を募らせた任侠関係者の中で、山口組の分裂騒動を手打ちさせようと様々な動きが出ている。

この内、山口組本家と長らく友好関係にある広域暴力団・稲川会は、今年初め幹部が年始挨拶と称して六代目司組長と面会。

その場で稲川会五代目・清田次郎会長の言葉を伝えたと言われる。

その内容は「山口組の分裂は、侠道界の今後に悪い影響を与える」と憂慮を示し、出来るだけ早く収束させるよう進言したものだった。

稲川会はかつて、当時の二代目・(故)稲川裕紘会長が「山一戦争」の手打ちを引き受け、引退蟄居した故山本広(元一和会会長)を本家山口組の田岡未亡人・文子氏に会わせ、直接侘びを入れさせた経緯がある。

今回、稲川会・清田会長が六代目山口組・司組長にメッセージと言う形で進言したのは「山口組統一へ、何時でも力添えする」と言う意味合いだったに違いない。

その本流が「山口組本家支持」であることに変わりはない。

稲川会は、昨年末に長く山健組(神戸山口組)と交流を続けていた直参2団体に、突如破門を申し渡した。言い換えれば、山口組本家に対し「ここまで義理立てしてやっているのだから、始末はしっかりつけろ」と暗に示したことだったかもしれない。

稲川会を始め全国の侠道界から不安や不満の声が聞かれるようになり、ようやく本家(六代目)・神戸・任侠の各山口組代表者が、年始から大阪市内や神戸市内でひそかに会合を持つようになった。本家(六代目)からは若頭・高山清志の代理人、神戸は副本部長・入江禎の代理人、そして任侠山口は、総本部長・山崎博司(二代目古川組組長)が直接乗り出して来ていると言われる。

警察当局や一般住民による侠道界への日増しに高まる圧力から、三団体共に「本家合流一本化」の線ではほぼ合意に至っていると言う。

だが、その過程において避けて通れない大きな二つの問題がある。

一つ目は、分裂のきっかけを作った神戸山口組・井上邦雄組長の処遇

二つ目は、本家の司忍組長や若頭・高山清志ら現幹部の処遇と言われる

この内、神戸・井上組長の処遇を巡っては「事態が収拾され、山口組が統一された折には、自ら身を引く」と語っており、情勢への不満は残るもの自ら引退蟄居することは間違いない。

最大の問題は、司六代目体制を維持するか否かである。

あくまで「本家の総意」を盾に司六代目体制の維持を主張する現幹部らに対し、減ったとは言え現在も直参・二次&三次等を含め全体の四割近い組織が本家から離反した責任を追及する声は、神戸・任侠山口だけでなく本家の組織内からも上がっているのは事実だ。

加えて、稲川会など各友好団体筋からも「ここは人心を改め、文句を言う奴を居なくするのが最優先」との声が高まっている。

六代目山口組を巡っては六代目司忍組長は、就任当初から6年近く獄に囚われ、統率力が殆どないと言われている。

加えて、組長代行役を務めた若頭・高山清志は、ひたすら私腹を肥やす事ばかりに奔走したとされ、人望の無さでは「山口組きってのトップ」と揶揄する声は絶えない。

「ライオン組長」の名で親しまれた(故)岸本才三最高顧問(岸本組組長)ですら、分裂前の入江禎(当時は五代目若頭補佐)に高山若頭を指して「あの人、ホンマに大丈夫やろか」と不安を口にしたとされる。

こうした動きに伴い、最近になってゴッドマザー田岡未亡人・文子氏の口から「現執行部の処遇と、次の首領決めに関し、自分は口出ししない」と発言があったとされ、司六代目体制刷新に向けた足掛かりが出来たとの見方がある。

こうした点から、山口組の分裂騒動は「六代目司忍組長引退☛新執行部による七代目山口組体制下での三団体合流☛新生山口組スタート」が、いよいよ近くなったとする見方がある。

七代目山口組・首領とウワサされるのは

 

引用:https://www.youtube.com/watch?v=mHCqG2VhzP8

では一体、七代目山口組の首領となる人物とは、如何なる者なのか?

六代目・司忍組長の正式引退を受けて動き出す話であるが、既に任侠界では、さまざまな人物の名が飛び交っている。

順当に行けば若頭・高山清司が七代目を継ぐのが慣例となる。

だが、高山の七代目就任を巡っては、神戸や任侠山口だけでなく、本家の直参筋ですらすさまじい反発が挙がっている。

万一この声を押し切って高山が七代目山口組の首領となれば、山口組は合流どころか粉々に分裂して収拾がつかなくなり、稲川会などの傘下に甘んじることになると憂慮する直参関係者は数多いと言われる。

そうした中、本家筋では司六代目体制下で若頭補佐を務める、三代目弘道会・会長竹内照明に白羽の矢が立ったとされる。

高山に比べ竹内は人望に厚いと知られ、神戸や任侠山口が合流後も分け隔てはしないと語っている。

関係者の間では「竹内七代目体制」で意思統一したかに見る向きはあった・・・のだが、

そんな中「全くのダークホース」的存在として名が挙がっているのが、任侠山口組・組長である織田絆誠である

織田は山建一派として本家を離反した後、神戸山口組も出奔。

山口組関係者からは「裏切り者の代表格」としてレッテルを張られてきた。だが山口組一派の中で早くから才覚を現し、神戸山口組で末席から僅か一年半で若頭補佐へ昇格した凄腕として知られる。

しかも任侠山口組の首領となってからは、メディアに積極的に出演して主張を展開するなど、「山口組関係者の顔」「山口組一派の広報役」としての役割を果たしている。

在日朝鮮人の血を引く織田は、終戦直後全国で起きた韓国朝鮮人暴動に怒り、各地の抗争に参戦した故田岡組長の遺志を継ぐ山口組として、認められない人物であることは確かだ。

しかし、ある関西系任侠ライターは「本家や神戸を見回しても、織田を超える才覚と人望を備えた人物は居ない。50代と年齢も若く、織田が山口組の首領に座れば、山口組の一連の騒動は一気に収まるだろう」と語る。

その一方「この際、長老が首領として座った方が良いのでは」という意見も少なくない。

五代目の(故)渡辺芳則長く若頭や組長代行を務め、長老的存在を経て組長となったことで、「山一戦争」で荒れた組の体制強化が再興出来たとする見方がある。

そうした考えに基づけば、神戸山口の最高幹部の入江禎が浮かび上がってくる。

田岡三代目以降の山口組の内情を知る数少ない長老である。

だが「裏切り者の一派」である入江。

「裏切り者には死を」が合言葉の山口組にとって、果たして処遇は可能なのか?ある意味見ものだ。

まとめ

 

引用:https://4travel.jp/travelogue/10697466

山口組を巡る話題についてまとめてみたが、果たして司六代目体制を変える動きは、いつ位から具体化するのだろうか?

関西任侠系ライターのK氏は「(故)田岡組長の命日である7月23日を目途に、話をまとめようとしている」と語る。

「早くまとめるに越したことはないが、乗り越えねばならない問題も多く、二つ返事で決まるような内容は殆どない。大筋の話だけ先に決めて、世間に公表するのではないか?」

前出のK氏談

一方関東系任侠ライターB氏からは「最近相次いで神戸山口の幹部がパクられていることから、神戸山口側から本家へ泣きが入ったとの情報がある。任侠山口は、処遇を巡って本家と溝が深いので、先に本家と神戸が年内に合流するのではないか。」との指摘もある。

いずれにせよ、(故)田岡一雄組長の命日である7月23日にかけ、山口組の動向に注目である。